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技術ポエムの置き場

Qiitaはポエムがダメなので・・・

ポエム記事への反論ポエム記事は書く意味がない

まずはじめにこの記事が主張したいことを書いておきましょう。それはこの記事は読む価値がないということです。

正確にはタイトルの主張ですが、つまりこの記事は反論ポエム記事に対する反論ポエムであるわけなので、つまり私は書く意味のない記事を書いていることになります。したがってこの記事は書く意味もないのに書かれてしまったため、読む価値がないのです。

さて、では主張の詳細を説明していきましょう。なお、これはあくまで私の個人的な主張であって、特に事実に基づく何かではないですし、私が衝動に駆られて書いたものなので、上記の通り本当に読む価値はないと思います。

そもそもどういうものが対象か

まず、主張をするには、そもそもどのような主張か、きちんと明確にしておく必要があるでしょう。誤解がないように言っておくと、私は全ての反論記事に対して書く意味がないと言っているわけではありません。

最近巷で話題なのが、所謂ポエム記事というやつですね。世の中で、白黒がはっきりつかない分野について論じたり、一般的な主張とは真逆の主張をしたりといった記事のことを指します。

さて、そのようなポエム記事を見ると、大体反論したくなるのが世の常です。しかし、大方元記事の主張がはっきりしない場合も多かったり、そもそもはっきりしないものを題材に扱っていたりして、往々にして反論記事がポエム記事になることがあります。

この主張は、

  1. 記事がポエム記事に対する反論記事であること
  2. 記事がポエム記事であること

この両方が条件で発動するものです。

ポエム記事に関しては、私自身は、ポエム記事も有益なものが幾つかありますし、それについてどうこうということはありません。ただ、Qiitaはポエム記事は対象外的なことになってるらしいですし、まあその是非はともかく、サービス提供者がそういうのならそれに従うべきだぐらいの認識です。

反論記事に関しても、特に何もありません。むしろ、反論記事に関しては、とてもためになる場合が多いと思います。ただ、元記事の作者への配慮などもしてもらえれば、とてもありがたいとも思います。

ただ、反論としてポエムな記事を書くのは、私は何の意味も無いのでやめてほしいと思っています。

なぜ書く意味がないのか

さて、私は性善説を信じています。私自身は性悪なので、なんでこの主張を信じれるんだろうと思います。おそらく、子供の頃に全ての人が私みたいだと教えられれば、私は簡単に性悪説に鞍替えしたでしょう。話が逸れました。とにかく私は、おそらく私以外の人は、人のためになる行動を惜しみなくする人たちだと思っています。

そんな私が考える、人が反論ポエム記事を書く動機は以下のものです。

  • まず、ポエム記事を読んでしまった人たちに、ポエム記事のどの点がまずいかをちゃんと知ってほしい
  • その記事はまずい内容なので、その内容のまま広まってしまうと様々な人に被害が及ぶため、その被害を防ぎたい
  • 反論することで、何か自分の中でのもやもやした何かを取り払いたい

さて、この動機によって反論ポエム記事を書いたとします。しかし、あなたは書いてから以下のような状況に出くわすでしょう。

  • 自分の記事に対する反論ポエムがくる(しかも多くの場合攻撃的な!)
  • 分かっている人には理解される内容かもしれないが、多くの本当に発信したい人たちには読まれないか、主張が分からず何に対する反論でどのような結論に至っているかが分かりにくい
  • 元記事の作者が自分の記事が害されたと思い、不機嫌な対応をしてくる

結果としてあなたは、僅かな善意と短い自分の頭の休息を得るために、その後善意がほとんどの人に届かず、攻撃的な反応の処理のために脳に負荷がかかり続けることになるでしょう。

本来あなたが思い描いていたのは、元記事の作者に間違いを認知してもらい、そしてそれによって多くの人にきちんとした情報を届け、僅かな自分の記事に対する良評価をもらい、達成感を得ることでした。しかしながら、現実には良評価はもらえるかもしれませんが、それ以上の苦難と葛藤があなたを悩ますでしょう。

もしあなたが、一時の達成感を得ようと上のような行動をとろうとしている状態なら、私は以下のことをお勧めします。

ではどうすればいいのか

まず、あなたは一時間外に散歩に出かける必要があります(きちんと施錠をしたか、確認しましょう!)。そして、元記事のどの点がまずいかではなく、あなたの今の善意と欲求を満たすのに最適な方法は何かを考えるべきです(車両には気をつけて!)。そして、あなたが今の欲望の通り反論記事を書いた場合に、将来的にあなたの身に何が起こるかを冷静に考えてみるべきでしょう。特にうまくいかないパターンを重点的に考えるべきです。普通そのような場合に、人はパターンを網羅したと思っても何か楽観的な考えに固執してしまって状況がよく見えていない場合が多いです。しかし、現実的には必ず一つは最悪のケースが存在します。それを一つさえ考え出せば、あなたは自然に自分の頭が徐々に冷えていくことを実感するはずです。

一時間の散歩から帰宅した後、あなたは自分の頭が冷えているか確認しましょう。冷えていないと感じたなら、散歩コースを延長するのが吉です。もし、冷えていたならあなたはもっといい解決策が思い描けているでしょう。

具体的に、どのような解決策があるか今考えてみましょう。

最も良い方法は無視することです。あなたの近しい人がもしその記事に洗脳されていても、おそらくその友人を洗脳から解き放つことは簡単なはずです。また、あなたがその記事に対して誤解をしていたなら、友人がその記事の主張を分かりやすく教えてくれるでしょう。もしかしたら、あなたはその記事によって洗脳された人とチームを組むことになるかもしれません。その時その人の誤解を解くのにあなたは憔悴するかもしれません。しかし、その誤解を解く作業によって、その人と緊密にコミュケーションが取れるようになれば、あなたはチーム作業を円滑に進められる良い材料になるかもしれませんし、その人から「この人はスマートだ」という印象を持たれるかもしれません。また、友人との関係のようにその逆もありえるかもしれません。その人から自分の誤解を解いてもらった後、あなたはその人が技術的に優れていることを認識するでしょう。そしてその人の知識を享受してもらいやすくなるでしょうし、相手も何か機会があれば色々と教えてくれるようになるはずです。

しかしながら、反論記事を書こうと思う人たちの多くは、その利点を分かっていながらも無視することだけはできないでしょう。反論ポエムを書くことにはあまり益が無いということは分かっているものの、衝動を抑えられないといった場合も多いはずです。では、そのような場合にどうすればいいかというと、反論記事でなく新たなポエムを書くことです。

反論ポエムは、その主義主張はあなたが正しいと思っていることであり、多数派の意見かもしれません。しかし、記事としては、元記事の作者に不快をもたらすでしょうし、大方のポエム記事はあまりまとまっているとは言えず、そのような記事に対しての反論ですから、多くの場合反論ポエム記事もまとまりを欠きます。例え、あなたがいくら分かりやすく製作したように見えても、後から見返してみると揚げ足取りのような主張や内容の順序が追いにくいなど、記事での主張の本質を隠すノイズが多く散見されるでしょう。主にこれが攻撃的な反論や誤解を生む種になるはずです。

では、どうすればいいか。それは元記事の内容を少し意識しながら、あなたの意見を分かりやすく述べた記事を書けばいいのです。そうすれば、反論記事よりもよっぽど人のためになりますし、おそらく反論記事を書くよりも、反論の反論に対応する労力を考慮に入れて総合的に判断すれば、労力が少なく済むはずです。その分、他の記事やその記事の内容をよりよくするための時間が稼げるはずです。

例えば、よく散見される「ORMよりRDBの本来の機能を使ったほうがいい」という主張に対して、あなたはORMを愛しており「ORMならこんなことができる」という主張と記事の作者のORMの理解のなさをあげつらいたいとしましょう。ならば、あなたはそれをそのまま記事にすればいいのです。つまり、ORMにはどのような隠された機能があり、このようなユースケースRDBをそのまま使用するより遥かに優秀だ、という比較を行った記事を書けばいいのです。もし、あなたの気がそれでもすまないなら、「私はこう思ってこういう記事を書いた。もしよかったら読んでほしい」と元記事のコメント欄にでも残しておけば、おそらく反論記事よりもよっぽど良い反応が元記事の作者から返ってくるでしょう。また、あなたは、読者からRDBの優秀さについての補足をもらい、RDBに対しての自身の知識が不足していたことを確認し、RDBをもっと深く学ぶ動機となるかもしれません。その結果、あなたはRDBの良さにも気づくかもしれませんが、その時は簡単にその後の補足を自身の記事に書き、元記事の作者に「すまなかった、私もRDBの方がユースケースとして優れていることに気づいたよ」というコメントを残すことで、互いの遺恨を簡単に晴らすことができるでしょう。記事に関しては、例えあなたの知識不足でも、ORMについての紹介として機能し、読者のためにもなるはずです。

もう一つ、例えば「静的型付け言語の方が動的型付け言語よりも優れている」という記事に、あなたは「動的型付けを使いもしないで、クソな主張をしやがって」と思って勢いに任せ、自身のブログのエディット画面を開くかもしれません。この記事の内容を思い出してください。あなたはまず一時間外に散歩に出かけるべきです。そして、あなたは次のような記事を書くべきです。「動的型付け言語の方が静的型付け言語よりも優れている」。もちろん、中身があなたの不快の元凶に対する突発的な反論であってはなりません。綿密に比較を行い、確かに静的型付け言語にも利点があるが、明らかにそれを上回る利点が動的型付け言語にはあるということを主張する記事を書くのです。その結果、例えばあなたはコメント欄で「SMLという素晴らしい静的型付け言語には、このような素晴らしい機能があり、あなたのこの利点に関しては静的型付け言語でも代用できるんだ」という指摘をもらうかもしれません。そして、あなたは動的型付け言語と同様に静的型付け言語も良い面があるんだと気付き、またあなたの記事が元の記事よりもスターを多く稼いだことで、満足できるかもしれません。

反論記事でなければ、元記事に主張が届かないというものでもないはずです。あなたの主義主張が正しく、記事のまとまりがよければ、元記事によって興味を持った人があなたの記事を見つけてくれるでしょう。それでも不安な場合、小さな鬱憤を晴らすためTwitterに「こういう記事を見かけたので、書いた」と行ってリンクを拡散しておくのもいいかもしれません。あなたのリモートの友人たちが、それを他の人たちに伝えてくれるでしょう。

また、もっと過激になりたければ、例えば近しいLT大会で鬱憤を晴らすということも考えられます。特に身内の集まっているものがいいでしょう。そうすれば、あなたは賛同者を得られるとともに期間をおいて冷静にもなれるはずです。さらに、あなたの発表によって、不特定多数が知識を享受できるでしょう。これはあなたが有益なものをもたらしたいという願いにも叶っていますし、何よりLTのスライドはとても雑でよく、あなたの時間をあまり取らせません。その後、あなたは時間をおいて記事を書いてもいいかもしれません。

他にも、様々な対応策は取れるでしょう。一番重要なのはできるだけ冷静になることです。そして、あなたの達成感のことでなく、あなたが本来達成したかったことは何かということを考えることです。

これは、反論記事全般に関しても言えるかもしれません。得てして、自分の記事がポエム記事かというのは判断がつかないものです。「関数プログラミングが世界を創生した」という頭が宇宙にでも飛んで行ってしまったかのような記事に、冷静沈着に「JavaScriptでは世界は創生できない」というまごうことなき真実を突きつけるような記事でもなければ、あなたは自分の記事が一般論であるか、それとも自分の主義主張に染められたものなのか、判断のしようがないでしょう。そのような場合には、この記事の手法を試してみてもいいかもしれません。

なにしろ、反論ポエム記事を書くことは一番の悪手です。それだけは私はどうしてもして欲しくありません。

なぜこのような記事を書いたのか

さて、そもそも書く意味がないなら私がどうしてこのような記事を書いたのか、について最後に書いておきます。

私はこれまでの技術系の知識を、ほぼインターネットから手に入れたと言っても過言ではないと思います。そのために、多くの人の記事にお世話になりましたし、おそらくこれからもお世話になっていくでしょう。

誠に勝手ながら、私はみなさまの技術系記事がないと多分やっていけません。そして、おそらくポエム記事を修正したい欲に駆られる人たちは、ある程度の実力を持ち合わせている人たちです。そして、私はその人たちの記事を参考にして生きています。つまり、私としては、その人たちにはできれば、他の人にとって有益なことを発信したい意欲は全て、有益記事の量産に割り振ってもらいたいわけです。

さて、この浅ましい動機について、察しがついた読者の方もいると思います。反論ポエム記事はおそらく意味がないであろうということは、上記で述べましたし、それを書くことによって普通の記事より多くのエネルギーが消費されてしまうであろうということも述べました。私としては、そんな何の益も無い、それどころかそのエネルギーで私にとって有益な幾つかの記事が出してもらえたであろうというのに、何故か一抹の衝動でその未来がかき消えてしまうことはとても残念なわけです。私としてはそんなんよりも、有益な記事を予定通り出して欲しかったわけです。いや、ほんとに書いててクズ野郎と思いました。誠に勝手な主張で申し訳ないです。

そういうわけで私としては、この記事を粋狂にも読んでくださった方だけでも、上のような違う道を歩んでもらえたらな、と思います。そして、私に、もっと世の中には面白い技術があるよということを教えてもらいたいです。

以上です。